2015/11/19
猫日和⑬<猫の幸せ、ひとの幸せ1>
子猫の騒動が去り、静けさを取り戻す家で、元から居たおとな猫たちもホッと一息をつくようです。 長く飼っていると、それぞれの鳴き声を聞き分けられるようになるのですね。 我が家はそのことに気づいた時は、みんなで驚いて、面白がったものでした。 書き表してみると
- 低い声で野太く「まーお」
- 低めの声でふてぶてしく「にゃーお」
- 中間の声で素直に「にゃーお」
- 高めの声で「みゃーお」
と言った違いが、我が家のおとな猫たちです。
些細な違いに気付けたことを喜びと感じることこそ、猫に限らず、誰かと共に暮らしていることの幸せです。
そんな幸せを出来る限り長く感じていられるために、飼い主が出来ることを書いてみたいと思います。
⑨で病院にまつわる心配事をいろいろと書きましたが、病院は出来れば身近なものにしておくと いろいろと良いことがあります。 病気を早期発見できる、早期発見で治療代を分散できる、猫の健康に良い知識を吸収できる、などありますが、
- 「もっとやってあげられること、やってあげたいことに気付ける」
筆者が病院に行こう!とお薦めする第一の理由が、実はこれです。 治療代の高さでつい足が遠のきがちな動物病院ですが、いざ行ってみると、「もっとやってあげられること」を たくさん知ることができ、その中で最良の選択をする、と言う心掛けに気付くことができます。
お金が掛かる、行かずに済ませたい…と悩む後ろめたさとは正反対の「前向きな選択」を行う意識を持つことが出来ます。
もちろん、掛けられる金額は各家庭で決めるので良いですし、 ひとが無理をして不幸を感じていては猫も不幸になりますので、「出来る範囲で行く」が最善策です。 その分、せっかく訪れた際は、出来る限りの「猫の幸せのための選択肢」を手に入れるつもりで アンテナを張り巡らせましょう。 猫を飼い続ける上で、我が家の最大の論点はこれでした。
それでも、悩んでいる間に次の春が巡り、ついに子猫総数9匹となり(②参照)、決断を下さざるを得なくなりました。
我が家が辿り着いた考え方としては、
- いかなる理由があろうとも、命の根本に手を下すことが正しいとは思えない。
- しかし、「共生」と言う面から、申し訳ないけれど、手術を「させてもらう」。
- 命の在り方に手を下したことへの反省を、常にずっと持ち続けること。
となりました。
子猫を楽しみにする子どもたちへの説明は正直に行い、
- 親である自分たちだけれども、この方法が正しいのかはわからないこと。
- 将来猫を飼う時には、初めから問い直して自分で最善策を決めること。
と、言い含め、「もっと良い方法」についてあれこれ楽しく話し合っています。
「ひとの勝手な理由」を押し付けた反省は適度に感じつつ、 今の居心地の良さが猫にとっての一番の幸せであると信じて、
より良い暮らしを目指すことが、猫にもひとにも幸せなのではないでしょうか。
ふもふも
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